2011年8月7日

戦後66年終戦の日特集 館山市の戦跡2 「館山海軍航空隊」その2

旧海軍の館山航空基地は、昭和28(1953)年に海上警備隊(後の海上自衛隊)館山航空基地となり、現在は第21・73航空隊など、4つの隊が任務についています。

かつての館山海軍航空隊の鉄筋コンクリート3階建て本部庁舎は、戦時中の空襲で大きく破損しましたが、今も海上自衛隊第21航空群司令部庁舎として使われています。


海上自衛隊館山航空基地第21航空群司令部庁舎


その隣には、館山基地に関する戦前から現在に至るまでの資料が展示されている2階建ての教育史料館がありますが、かつては海軍航空隊の兵舎だった建物です。


海上自衛隊館山航空基地 教育史料館
館山海軍航空隊の兵舎。
左側が、現在教育史料館として使われている建物だろうか。

また鷹の島には、旧横須賀軍需部館山支庫の燃料庫として使われたタンクが6基ありました。旧海軍軍需部は、砲弾・魚雷などの兵器から、軍艦・航空機で使う燃料、食料、衣服までの一切の軍需物資を集めて保管し、補給する役目を担いました。タンクのいくつかは、平成7年まで海上自衛隊が実際に使っていました。
 
旧海軍横須賀軍需部館山支庫燃料庫
(平成14年撮影)

基地に関係する施設で注目すべきは水源地です。海軍の主力は艦船であり、飲料水の確保は今も大きな課題です。旧日本海軍も水源地の確保には精力的に取り組み、広島県の旧呉海軍工廠では、明治23(1890)年以来、大規模な水源地や浄水場が複数つくられ、現在も呉市の水道施設として使われています。

なかでも、本庄水源地堰堤水道施設は、大正7(1918)年の完成当時東洋一といわれ、長さが97m、高さが25mの大規模なものです。平成11年に、稼動している水道施設として、はじめて国の重要文化財に指定されました。


旧海軍の館山航空基地には、規模は小さいのですが、基地の南側の山中に、貯水池と浄水場がつくられました。昭和6年に建設されたこの水源地には、完成当時6万2千トンの水が貯水され、つい最近まで三芳水道企業団の水道施設として使われていました。


土盛り式のダムの上に建てられた海軍水源地の石柱


旧海軍が、水源が乏しい館山に航空隊を開設するにあたり、水の確保も重要課題であったことがわかります。(その3につづく)