2011年8月13日

戦後66年終戦の日特集 館山市の戦跡8 「館山海軍航空隊」その8

昭和20(1945)年8月15日の終戦の日まで工事が行われていた館山海軍航空隊赤山地下壕跡には、工事途中の箇所がたくさんあります。そのなかには、1階から2階に上がる階段の工事跡もあります。

1階から2階に上がる未完成の階段の工事跡
※見学することはできません。

赤山地下壕跡が、2階以上の複層階からなる防空壕として掘削されてたことは、建設工事に従事した、旧館山海軍航空隊兵士の方々からの証言からも裏付けられています。

このことは、山頂部に2つある未完成の壕の存在からも窺うことができます。それぞれの壕は、終戦による工事の中断で未完成のままですが、完成の折には、約3,000名とされるすべての兵員が壕に入る計画だったとの証言もあります。


赤山山頂部に残された壕の入口
※ 見学することはできません。

今まで繰り返しお話ししてきてように、旧海軍の記録資料や全体像を裏付ける有力な証言がないため、赤山地下壕の建設経緯や、どのように使われようとしていたのかなどの事実は、ベールに包まれたままです。

しかし、そこに残された複数の遺構をみると、赤山地下壕が、アメリカ軍の空襲から一時的に避難するための防空壕としてではなく、隧道(トンネル)式の飛行機掩体や物資保管の壕などとともに、基地機能を地中に隠すためにつくられた防護施設であるとする説が、有力であることがよくわかります。

昭和22年の赤山(写真中央部)周辺の航空写真
大きな2つの穴は、工事が中断された横須賀海軍軍需部
館山支庫燃料タンク跡


(「館山海軍航空隊」おわり)