2011年8月14日

戦後66年終戦の日特集 館山市の戦跡9 「太平洋戦争末期の館山-アメリカ軍の情報分析」

昭和19(1944)年7月、サイパン島が米軍に占領されると、同年11月の東京空襲以後、B29による日本本土の爆撃が本格化し、米軍の本土上陸作戦も現実化してきました。

歴史に「もし」はありませんが、米軍の日本降伏の最終的な計画は、昭和21年3月に予定された関東平野上陸を目指すコロネット作戦でした。

上陸地点は、茨城県の鹿島灘、県内の九十九里浜、神奈川県の相模湾からの三ルートが検討されていました。その関係資料には、地形、土壌、河川、道路や海岸線の状況、海の地形など、様々な観点からの検討が行われています。

 館山について、館山湾はどこでも停泊地として使えること。湾の西側に海軍航空基地があること。館山湾の水深は、12~36フィート(約3.7~11m)であること。埠頭が2つあることなどが、記されています。(『関東平野侵攻作戦計画概略』 1945年5月5日)


戦前の鏡ケ浦(館山湾)の夕景
沖合に旧日本海軍の戦艦などが停泊しています。

昭和20年8月15日の終戦の日に出された、日本占領に際しての研究書『日本都道府県マニュアル第11「千葉県」』には、地理、人口、経済、公共サービス、社会組織と文化施設などが記されています。

 そのなかで、館山市は避暑地であること。目抜き通りである県道沿いに、警察署・病院・税務署・裁判所・市役所・県地方事務所があること。1930(昭和5年)に、就業人口が最も多いのは、商業であること。


現在の館山銀座商店街

海軍飛行場(館山海軍航空隊)の埠頭には起重機1機があり、1日8時間で2,920トンが陸揚げできること。


昭和25年頃まであった起重機
(太田茂氏撮影)

電報回線が、洲崎で海底ケーブルにつながっていること。館山駅に、日本放送協会が設置したラジオ放送をラウドスピーカーで流す装置があること。公立保育所が4、民間保育所が1あることなどが報告されています。


戦前の館山駅構内
撮影当時、館山駅は安房北条駅という駅名でした。
戦前の館山駅前
写っている車はタクシー

 昭和20年9月3日、午前9時30分、米陸軍第112騎兵連隊が、館山海軍航空隊の水上機基地から上陸しましたが、これらの情報をもとに作業が行われたと考えられます。

館山海軍航空隊水上機基地跡
※見学することはできません。