2011年9月3日

戦後66年終戦の日特集 館山市の戦跡11 「昭和20年9月3日 米陸軍第112騎兵連隊 館山上陸」


昭和20年9月3日 米陸軍第112騎兵連隊 館山上陸
館山市『ルックたてやま』9 1995.7 より転載

昭和20(1945)年9月2日、アメリカをはじめとする連合国に対する日本の降伏文書調印式が、東京湾に停泊したアメリカ海軍戦艦ミズーリの甲板で行われました。


アメリカ海軍 戦艦ミズーリ

その時、約1,400m離れた地点にいた米輸送艦隊は、翌3日の午前3時、館山を目指して南下します。

昭和20年9月3日午前9時30分、輸送艦隊から、米陸軍第112騎兵連隊が、館山海軍航空隊の水上機基地に上陸します。


館山海軍航空隊水上機基地跡
※ 見学することはできません。

上陸した米兵の数は、約4,000人とされ、その数は米側から日本側に要求のあった洗濯物処理の交渉により、たまたま明らかになったとされています。(『幻の本土決戦』千葉日報社)

両国の交渉のなかで、米側を驚かせていることが、日本側が非武装化のために、迅速な措置をとっていたことです。

8月26日以前、館山には、陸軍2万人、海軍6,000人、憲兵・警察合計2,000人が駐屯していましたが、8月26日には、武装警官など約1,600人が配置されるだけになっていました。(アメリカ合衆国国立公文書館カレッジパーク館史料)

9月4日、第112騎兵連隊は、館山周辺の高射砲、砲台などを調査し、すべて使用不能になっていることを確認し、報告書を提出しています。

そのなかに、「市民の表情からは、米軍兵士は怖いという様子が伝わってきた。偵察隊の姿を見かけると、女性や子どもは隠れ場所に逃げ込んだ。しかし男性や少年は、敬礼をしたりお辞儀をしたりした。日本人は個人でもグループでも、米軍に敵対するような行為はしなかった。」と、館山市民の様子が記されています。