2011年12月17日

「遺跡の保存・活用のための発掘調査」

このブログでも、すでにお知らせしたとおり、

国の文化審議会は、平成23年1118日(金)に開催の同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、稲村城跡を、南房総市の岡本城跡とともに、国史跡として指定することについて、文部科学大臣に答申しました。


その結果、官報告示の後に、稲村城跡が、館山市初の国史跡に指定されることになります。


稲村城跡遠景

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「稲村城跡」の国史跡指定答申について (11/18)


正式に指定された後、館山市は、国史跡・里見氏城跡「稲村城跡」を保存し、市民の誇りとなるように活用を図っていくため、保存管理計画などの基本方針の策定に取り組んでいきます。

その後に、復元工事を行い、郷土の歴史を活かしたまちづくりの拠点となるように整備していくことになりますが、整備に必要な情報を得るために必要なことが発掘調査の実施です。


大変難しいことは、学術目的の発掘調査でも、遺跡を破壊する行為となること。

ただし、遺跡は土の中に埋蔵されていますので、発掘しないことには、その情報を知ることができません。

平成22年度、全国各地で年間約7,500件の発掘調査が行われました。

そのうちの約97%が、道路建設、宅地造成、住宅・店舗の建設など、開発事業との調整の結果、遺跡の現状保存が図れないと判断されたため、遺跡の持つすべての情報を得るために、遺構を完掘すること(=記録保存)を前提にした発掘調査です。

その一方で、遺跡の保存・活用を図るための発掘調査は、現状保存を図ることを目的に、必要な情報を、最小限の発掘調査によって得ることが前提になります。

「遺跡の保存・活用のための発掘調査」は、言葉では、以上のとおり簡単に書けるのですが、実際に取り組むとなると、大変難しいものです。

そのため、このほど、さいたま市にある埼玉県庁で、「遺跡の保存・活用のための発掘調査」をテーマとした研修会が開催されました。


埼玉県庁
旧浦和市はサッカーどころ。近年不振が続いていますが、
県庁に浦和レッズのフラッグがたなびいていました。

基調講演は、文化庁記念物課の水ノ江和同さんによる「保存目的調査について」。

講演の要旨は次のとおりです。

・ 保存目的の調査は、遺跡を保存・活用していくうえで、必要最小限の基礎資料を目的とすること。
・ 将来の考古学研究の進展により、遺跡の性格などの再検討の余地を残して、少しでも多く、遺跡を現状のままで残しておくこと。
・ 発掘調査の担当者は、遺構の完掘を前提とした記録保存調査の経験が多いため、保存目的調査の理念、目的、方法などの違いを明確に認識することが重要であること。
・ 史跡の保存活用を前提とした「保存目的調査」は、公費により行われるため、必要性、適切な期間と経費など、費用対効果を踏まえた説明責任が果たせるように立案すること。
・ 発掘担当者の興味と関心のための発掘調査は、厳に慎むこと。


文化庁・水ノ江さんの講演の様子

次に、山梨県北杜(ほくと)市教育委員会の佐野隆さんが、「保存目的の発掘調査-梅之木遺跡の場合-」を事例報告しました。


北杜市教育委員会・佐野さんの事例報告

北杜市は、山梨県北西部の八ヶ岳南麓にある人口約5万人の市で、農業が基幹産業です。

梅之木遺跡は、縄文時代中期(約4,500年前)の竪穴住居百数十軒が円く並んだ環状集落跡で、平成16年度から4カ年計画で遺跡の範囲、内容、時期を詳細に確認する発掘調査が実施され、現在、国史跡指定を目指して、作業が進められています。

「どんな情報が、どのくらい必要なのか?」という懸案があるなかで、発掘による情報の取得と保存のバランス、つまりは、どこまで掘ればよいのかということが課題であるという内容でした。


事例報告の二番目は、埼玉県立さきたま史跡の博物館の末木啓介さんによる「史跡埼玉古墳群の調査と整備」。




埼玉(さきたま)古墳群は、稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」で有名です。

表面に57・裏面に58の文字が刻まれた金錯銘鉄剣115の文字には、ワカタケル大王(雄略天皇)に仕えたヲワケの功績などが記されていて、我国の古代史を考える上で貴重な資料となっています。


埼玉古墳群の整備は、昭和41(1966)年に始まり、45年を経た現在も、その調査と整備が進められています。

昭和41年の埼玉古墳群航空写真
昭和41年の整備工事の様子
昭和44年の埼玉古墳群

個人的なことで申し訳ありませんが、この頃、右に小さく写る土産物店で、
武人埴輪の模型を、祖父に買ってもらった思い出があります。
埼玉古墳群は、私が考古学を学ぶきっかけとなった史跡です。
史跡埼玉古墳群の整備イメージ図

埼玉古墳群の調査と整備の歩みが教えてくれるように、全国各地の自治体は、数十年という単位の時間と予算をかけて、史跡の保存と活用に取り組んでいます。


里見氏城跡「稲村城跡」の保存と活用は、国史跡に指定されることで、ようやくそのスタートラインに立つことになります。

地元をはじめに、市民の皆さんが、早い時期の整備を心待ちにされていることは重々承知しているのですが、その一方で、実現には様々なハードルがあります。

史跡の整備には、少なくとも10年単位の時間が必要になることを、各地の事例からもご承知いただければ幸いです。