2012年2月8日

シリーズ安房国礼観音(^^)第六番 長谷寺!!


こんにちは(・∀・)☆

今日の安房国礼観音は
『第六番 長谷寺』ご紹介いたしまーす(°∀°)!!




長谷寺
(はせでら)
臨済宗
(りんざいしゅう)
本尊:十一面観世音
山号:海光山長谷寺
住所:安房郡鋸南町勝山409
電話:0470-55-0176(小早川宅)





ご詠歌:長谷寺へ のぼりて沖を ながむれば にはまの浦に たつは白浜


大黒山のふもと、法福寺横の急な石段を上がった山の中腹に建つ長谷寺(^^)

寺の由緒によると、天平の時代、聖武天皇(しょうむてんのう)が
病気平癒を祈願して奈良長谷寺に十一面観音を祀り、
鎌倉長谷寺にも行基が2体の観音像を彫り安置した。
その内1体は足利尊氏が武運長久祈願のために帰依(きえ)し、
当地が岩山であることから永遠不変と考えて、御朱印300石と敷地一町四方を寄進し
堂宇を建て安置したという。その後、尊氏の意思を継いだ4代将軍足利義持が
僧木鐸(もくたく)とともに応永13(1406)年に当寺を開創したとされているそうです☆!

その後不運にも
元禄16年(1703年)の元禄地震による津波で堂塔などすべてが流失(・ω・`)

享保13年(1728年)に僧・柏庭が再建するが、
天保元年(1830年)には再び火災で焼失(・・;)

弘化元年(1844年)に僧・古道が再興するが、
明治四年(1871年)の暴風雨でまたもや倒壊、

↑このようにたびたび消失するものの再建されてきました(^^)

当時の波乱に満ちた寺歴を振り返ると、消失するたびに
再建してきた、勝山の人々の信仰の深さを感ぜずにはいられません!!

ちなみに現在の観音堂は明治十四年に再建されたものだそうです!!



お堂の左には三猿を刻んだ山王社と、
捕鯨の醍醐出刃組(だいごでばぐみ)が
大正3(1914)年に海上安全と大漁を祈願して鎌倉から
移した半僧坊(はんぞうぼう)が祀られ、
境内左手の外れには元禄大津波の死没者供養のための海難記念碑があるそうです!!

勝山は、景行天皇の浮島伝説、源頼朝の上陸
日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃・弟橘姫(おとたちばなひめ)のみさぎ島伝説、
など古代ロマン溢れる土地柄の漁師町です☆!

房総捕鯨発祥の地としても名高い漁港です(°∀°)!!

長谷寺が消失するたびに再建してきた、勝山漁港の漁師達の
たくましさと、信仰の深さがとても感じれますね(`・ω・)!!


また、階段を少し下りたところには
番外の水月堂が建っています(^^)☆
(↑についても後日ご紹介いたしまーす♪)



どのような経緯で隣接地に番外の観音堂があるのかわかりませんが、
長谷寺が自然環境の厳しい海際に建ってる観音堂だけに、
長い時間の中で消失の危機を免れないことは、
いままでの寺歴が教えてくれますよね…(^^;)



もしもの不測の事態を考えれば隣接地に番外観音堂が登録されてるのは
意味があることなのかもしれませんね(・ω・`)