2012年6月15日

館山市無形民俗文化財「新井の御船歌」と御船山車「明神丸」

館山市無形民俗文化財「新井の御船歌」。

古くは、諏訪神社の祭礼で演じられていました。

しかし、大正12(1923)年の関東大震災で社殿が倒壊したため、諏訪神社はその後、館山神社に合祀されました。

現在は2月下旬に行われる歌い初めと、8月1日、2日に行われる館山地区の祭礼の際に新井地区内で御船の練り出しが行われ、お囃子(はやし)を演じた後、御船歌が演じられます。


御船山車「明神丸」
(新井御船歌保存会 提供)
御船歌は「奉行(ぶぎょう)」と「お船手(ふなて)」と呼ばれる唄い手によって演じられます。

奉行(ぶぎょう)には、歌詞の中の「歌上(うたあげ)」と呼ばれる「上げ歌」を独唱する役割があり、それに続いて、お船手(ふなて)たちが一緒になって「付け歌」を唄います。

現在伝わる御船歌には「木更津(きさらぎ)山」、「是(これ)のつぼね」、「初はる」、「桜くどき」、「鳴戸舟」、「真鶴くどき」があります。

祭礼当日、御船出発の際は、祭礼の安全を祈願し、お払いの意味がある「木更津(きさらぎ)山」という御船歌が唄われます。

かつて御船歌の上演は、区長などの個人宅や、町と町との境界にあたる場所、網元であった家の前で唄う慣例があり、「木更津(きさらぎ)山」、「初はる」といった歌の内容から厄払いや、新春に際しての招福といった意味を持つ芸能との共通性が感じ取れます。




新井の御船歌「木更津山」
(新井御船歌保存会 御船奉行・中村隆志さん作成)

御船の練り出しとそれに伴う御船歌の上演は、館山市に特徴的な祭礼文化のひとつであると考えられます。


明神丸 大正14(1925)年8月
現在の明神丸と異なり、六輪です。
(新井御船歌保存会 提供)

明神丸 昭和30(1955)年8月
現在の明神丸と屋根が異なります。
(新井御船歌保存会 提供)


御船歌が演じられるのは、館山市をはじめ、周辺では安房郡鋸南町、伊豆半島や三浦半島、茨城県といったいずれも湊を有する沿岸地域に伝承されていることから、これらの地域との文化的な共通性を背景にしていると考えられています。

また、新井の御船歌は、伊豆半島(伊東市)の御船歌と同一の曲名が存在すること、類似の内容を持っている点が特徴といえます。

昭和32(1957)~33(1958)年頃に一度消滅の危機があったといいますが、その後、昭和47(1972)~48(1973)年頃に「新井船歌保存会」がつくられ継承されています。


保存会が組織されるまで、御船歌は区の長男にだけ教えるという形で伝承されてきたといいます。


「新井の御船歌」にみられる長男への継承・唄い手の役割分担などから、民俗社会において伝承形態が保持される様子を知ることができます。