2012年8月14日

戦後67年終戦の日特集 館山市の戦跡16 「洲崎弾薬支庫跡」

東京湾要塞を構成した旧陸軍の洲崎第二砲台と洲崎第一砲台。大砲に必要なものが弾薬です。

西岬地区坂田の洲崎第二砲台跡から、さらに約100m奥の山腹に横穴を掘りつくられ、昭和2(1927)年3月に完成したのが洲崎弾薬支庫です。


洲崎第二砲台と洲崎第一砲台の位置
浄法寺朝美『日本築城史―近代の沿岸築城と要塞』(1971)より転載

東京湾要塞の弾薬庫は、神奈川県横須賀市衣笠に弾薬本庫がありました。

弾につめる火薬の大敵が湿気です。

そのため弾薬庫は、内庫・外庫の二重式でつくられました。内庫は現存していませんが、鉄筋コンクリート造りで、前室と本室があり、防水防湿のため、床を含め全体がアスファルトで覆われていました。


洲崎弾薬支庫跡
防水防湿のため、このなかに内庫があった。

また、洲崎第二砲台の南北方向に直列した4つの砲座のうち、北側の2基の中間に横穴式の砲側庫跡があり、砲台跡の南側に隧道式と横穴式の砲庫跡があります。



隧道式砲側庫跡の入口
迷彩が施され、内部にはレンガが貼られています。
隧道式砲側庫跡内部
隧道式砲側庫跡内部
横穴式砲側庫跡内部


砲側庫とは、砲台のすぐ側にある倉庫のことです。弾薬は、平常時には弾薬庫にありましたが、戦争に備える戦備時には、砲側庫に置かれていました。

また砲台跡の北側には、分厚い鉄筋コンクリートでつくられ、アスファルトにより防水防湿の工事が施された、かまぼこ型の炸薬充実所跡があります。ここでは砲弾に火薬をつめていましたが、あまりに頑丈で、撤去できなかったため、住宅の一角に現存しています。


炸薬充実所跡

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