2012年11月19日

シリーズ社会科見学23 東京都北区飛鳥山博物館 秋期企画展「赤羽台古墳群に眠る人々-石と埴輪から探る東国古墳文化-」

江戸時代から桜の名所として知られる、東京都北区の飛鳥山公園。

この公園内に、3つの博物館があります。




紙の博物館は、世界有数の紙専門のユニークな博物館。

渋沢史料館は、近代に日本を創ったリーダー・渋沢栄一の志を伝え続ける博物館。

そして、北区飛鳥山博物館は、東京都北区のことがなんでもわかる博物館です。


北区飛鳥山博物館で、秋期企画展「赤羽台古墳群に眠る人々―石と埴輪から探る東国古墳文化―」が開催されています。




北区赤羽台4丁目に立地する赤羽台古墳群は、古墳時代後期の6世紀後半から7世紀前半にかけて造られた古墳群。

これまでに見つかっている15基の円墳の中には、富津市周辺の海岸で採れる「石材」が横穴式石室に使用されたもの(3・4号墳)や、埼玉県鴻巣市の生出塚(おいねづか)埴輪窯で作られた「埴輪」が墳丘に並べられたもの(4号墳)など、特異な性格を持った古墳があります。

テーマは、なぜわざわざ遠隔地から運び込まれた“モノ”で古墳づくりを行う必要があったのか?


この企画展で、館山市指定史跡「大寺山洞穴遺跡」からの出土品(館山市指定有形文化財)が展示されています。


展示風景。許可をいただき撮影しました。


館山市沼の大寺山洞穴遺跡は、館山湾を一望できる丘陵先端部にあり、西に向いて垂直に切り立った山裾に口を開けています。


大寺山洞穴遺跡の位置図 右から第1洞、第2洞、第3洞。



3つの洞穴のうち、第1洞でみつかった12基以上の舟棺は、丸木舟を棺に用いた「舟葬(しゅうそう)」という葬送儀礼を確認できたはじめての例です。

舟棺の出土状況平面図。左方が洞穴の入口。


いずれの舟棺も、舳先を洞窟の入口に向けていました。当時は、入口近くまで海が迫っていたのでしょう。



1号舟棺の出土状況


棺は土中には埋葬されず、いわゆる風葬のかたちで、洞窟の側壁に沿ってそのまま安置されていました。


昭和31年の調査で出土した舟棺


床に棺を置くスペースがなくなった時には、棺を積み上げていったようです。

埋葬期間は5世紀前半から7世紀後半の約200年間にわたります。

主な副葬品には、三角板革綴(かわとじ)衝(しょう)角(かく)付(つき)冑(かぶと)・三角板革綴短甲(たんこう)、横矧(よこはぎ)板鋲留(びょうどめ)短甲、歩揺(ほよう)付金銅製品、銅製鈴、木製漆塗盾などがあります。


三角板革綴短甲 ※一部展示資料と異なります。


横矧板鋲留短甲 ※一部展示資料と異なります。

それらのかたわらから、多くの土師器(はじき)、須恵器(すえき)が出土しています。



須恵器と土師器 ※展示資料と異なります。

これらは、東国の大型古墳から出土する副葬品と比べても内容的に遜色がなありません。

海食洞穴を墓として使用する例は日本列島の各地にみられ、漁労や海運など海に生活基盤をおいた海人の墓ではないかとされています。

大寺山洞穴遺跡の被葬者たちも、海人の一族であったとみられますが、約200年という長期にわたり、集団が安定した力を持っていたことを示す例はほかにはありません。

もうすぐそこまで冬が来ていますが、まだまだ文化の秋

飛鳥山の3つの博物館を訪れてみてはいかがでしょうか?


都電荒川線のぶらり旅の途中に寄ってみてもよいかもしれません。


北区飛鳥山博物館 秋期企画展
「赤羽台古墳群に眠る人々-石と埴輪から探る東国古墳文化-」


◆ 開催期間 10月27日(土)~12月9日(日) 
           午前10時から午後5時 ※月曜休館

◆ 開催場所 北区飛鳥山博物館・特別展示室(北区王子1-1-3 飛鳥山公園内)
          JR京浜東北線王子駅南口より徒歩5分、東京メトロ南北線西ケ原駅より徒歩7分

◆ 観覧料   無料